必要な解。

最善解、最適解、部分解・・・
いろいろな「正解(解)」がある。


議論を行うことは、いいこと?だと思うし、自分が学ぶ点がたくさんある。
しかし、議論をして生み出したいものは何なのか。どんな解を求めたいのか。
自分の発言はどのgoalに向けて発言されたモノなのか。
それが、てんでばらばらなのではないか。


具体的問題の議論は、やがて抽象論へ。そしてそのまま続けられる議論が目指すところって
完全なる解なのではないか。
本当は現実問題の部分を解決したいことが目的だったのに、理想世界での解を求めているのでは
ないか。
もう少し、現実に落とし込んだ解を求める議論が必要なのではないか。


理想を語ること、正論を語ること・通すこと、それは重要(僕もそのきらいがあるから)。
だけど、発端が現実レベルなのであれば、それを落とす落としどころに落ち着くことが
まず第一な気がする。
議論することが目的の議論になってしまっては、体力・精神を消耗するだけ・・・。


正論・正解を求めるよりも、自分が納得できる解を求めたがるよね。悲しいけど。
本来ならば、正論が!正解が!理想が!通る世界であるべきなんだが...
(と書いておいて、じゃぁ「正論」「正解」「理想」って何よ。
誰が正しいかどうか判断するんだよ、と自分に問いかけるが、答えは出ない。
自問自答(答えられていないが)の繰り返し。うーん哲学的!!)