歳を重ねるということ。


19日に祖父の訃報があり、20日の土曜は午後イチまで客先作業して
新幹線で実家へ。1年近く帰省していませんでした。
通夜に参加し、あぁ、ほんとに逝ってしまわれたのだなぁ、と。
悲しいという強い思いは、すぐに出てこなかったわけだけれど
祖父が亡くなり、父方の祖父母がいなくなったわけで、寂しさは感じる。


おじいちゃんち、おばあちゃんちと呼んでたあの場所は、どう呼べばいいのだろう。


自分が歳を重ねるということは、他の人も歳を重ねるということで
それは、みんな一生が死に向かって一歩一歩近づいていることに他ならない。
従姉妹のお姉ちゃん(上)のこどもに初対面したり、従姉妹のお姉ちゃん(下)の
旦那さん(お坊さん。。)に遭遇したり、新しい親戚となる人や新しい命に
出会えたそういう意味で、自分の知っている人が増えてもいくのだけれどね。


古くさい考えかもしれないけれど、こうして人の一生は思うが以上に早い速度で
進んでいくから、自分もこども授かって、みんなにみせてあげたいなぁ、とかいうことも
思うのである。


おじさんがおじいちゃんが僕を呼んでくれたと言ってたが、たしかにそうなのかもしれない。
忙しいという理由で家に帰ってなかったし。
不謹慎だけれども、祖父母とも、冬休み中や、土日前に亡くなったことで、通夜や告別式に
自分も参加できている。こうして最後のお別れをなんとかさせていただけることに
神か仏かしらないが感謝をしている。


お坊さん(上記の旦那さん)が、浄土真宗では死んだ瞬間、極楽浄土にイケルのだから
口への含ませ水など必要ないとか、魂という概念がないとか、いろいろ興味深い話を
していた。母からも「お兄ちゃん向きの話だったんじゃない?」と言われた。
やはり、精神学・宗教学・哲学に私は興味があるようである。
ああいう話なら、授業も退屈じゃないのに。


あいかわらず家族はあいかわらずで、にんともかんとも。
妹に化粧っけが全くないので、買ってあげてもいいぞーとかゆっといた。
あいかわらずの憎まれ口だったので、軽くキックはしておいた(笑。


お見合いするからー、みたいに冗談を言っておいた。
母⇒父に「お兄ちゃん、お見合いするって」と言っていた。
もしかしたら、実家引き戻しのために、お見合いが計画されるかもしれない。
あなおそろしや。。。