かばうとかそんなんじゃなく。

僕からみれば、なんてぬるいかばい内容なんだろ思っても当人は本気なんであろう。
ただ、そういうのにむしずが走る人間からすると、その無意識での振る舞いこそ
苛立ちの対象となることが多い。


裏切られたとの感想は自分の中にしまっておくか、当人に直接言うもんやと
個人的には思う。
だけど、見なければいい、というそのお決まりの反論には違和感がある。
なんで、という部分がうまくことばに出せないあたり自分の力量不足で
情けないが、どうもだめなんだ。
誰も、みたくないなんて言ってないんじゃないのか。
全部受容するものでもないが、なんで全否定になるのかな。
なんか、ひどいこといわれてる→かばう(ように見える)ってのが
多分、そのコミュニティの中の人達の個性(同方向を向いたキャラクタ性)
なんだろうな。僕とは相容れない方向であるわけだが。


作成した個人のテリトリーなんだから、どうやってもいいでしょ、という主張は
全面肯定されるべき主張なのか?
なんか安直に言ってしまうその風潮はブログがもたらしたものなのか。
HPの時から、そういう主張はあったが、そうたびたびお目にかかるものでなかった
ように思うのだが。(自分が閲覧している範囲では)
私見だが、HPを作って公開するのって、ジオとか簡単にサイト開けたりするのも
あったが、それでも、自分でそれなりに苦労してレイアウト凝ってみたり、アップロードに
躓いてみたり、サイトを公開するってことが少し達成感のあるものだったような
気がする。そういうものがあるから、自分のサイトに対しての愛情・愛着みたいな
ものが今のブログに比べて強かったのでは?
人と人とのつながりだけでなく、自分と何か(ものとかサイトとか)との繋がりまでも
希薄になっていくのが時代の流れなんかな。
そうだとすると寂しい限りだな。