人助けしても悲しくなる世界

映画見終わり、新宿駅のホームについたところで、発車する電車にかけこもうと
した方が、くだりの階段から思いっきりダイブしてホームにつっぷした。
勢いよくこけたなと思い、起きあがるのを1秒ほど待ったが気配なし。
これはやばいかもと思い駆け寄って、意識確認実施。
「聞こえますか?大丈夫ですか?」と何回声をかけても返事がない。
よく動かすのが余計にだめ、なんて説明も見たので、とにかく肩をたたき
声をかける。近くにきてくれた他の人に駅員さんを呼んできてもらった。
一応、1分2分したところで意識は戻ったみたいでよかったが、かなり心配な
感じであった。
駅員さんが声かけて、当人が身体を起こしたあと、駅員さんが「少し救護室で
休まれては?」といった感じに説明されたので、私も休んでいったほうがいいと
主張したのが相手の気分を損ねた。
「なんで、お前にいろいろいわれにゃならん」といったことを何回か言われた。
思いっきりホームに突っ伏して、声かけても起きなかったから心配で休めるもの
ならば、休んでいったほうがいいと思ったけれど、それを私が主張するのは大きな
お世話なんですね。
いつも一言多くて、相手を不快にさせてしまいます。
救護の駅員さんもかけつけたので、「出しゃばったことを申し上げてすまなかった」
とお詫びをして、帰宅路についた。


あまり親切(?)にすることは、相手にとっては恥を感じたのかもしれないのだな。
もう、酔っぱらっているのかもとわかったところで退散した方がよかったのかな。
意識取り戻したところで「元気そうだね、じゃあ!」と退散した方がよかったのかな。
そんなことを思ってしまうので、このblogにひとまず書いた。
なんか書くほど愚痴だから、自分でも嫌になる。


ひとつだけ、今日のできごとで私は転んでいる人でも声かけづらい気持ちに今は
若干なってる。あんなにホームに人がいるのに、私以外にこけた方のところに来たの
数人であとはなーんもしねぇ。でも、声かけた人間が最終的に疎ましがられるの
なら、次からは私も声かけられないよ。自分をなんどもつぶしても行動できるほど
強くはないよ。
それでもやりきれなさは今回は今日という日に置いておくことにする。