的はずれてるんなん。

更新した。



書き手(兼読み手)である私と、あなた(抽象名詞)とのスタンスの違いだってことは
重々承知はしているんだけれども・・・。


自分が書いているのは「日記」だとは思っていない。
出来事感情含めて、記録としての機能を第1ポイントに見据えるものを「日記」と
称するのであれば、日記ではない。
ほとんどについて、読み手がいることを意識し、それなりの起伏っぽいものを
考えて文章書いている。(それが相手に伝わるかはこちらの力量だと思うけれど)
日々の記録を、誰かが単発的に読んだ場合なら、「そう」なるわけだが、ベースとなる
(なかなか変えることの出来ない)思想・性格から書かれる文章群は、読み続けると
その輪郭が見えてくる。
書き手である私が、読み手に期待している部分もあったりする。
僕の想定してる枠と、帰ってくるレスポンスへの温度差、これがどうもね。
(いいとか悪いとかそういう切り口にしてはいけないですね。。。)


それが題名の的はずれてる、という感想につながる。


単発で構成されるが、大枠から外れていないというか、外さないように書いているっちゅうか。


コメントとかそういうレスポンスのスタンスがあるんかなとか、自分勝手に思ってみたり。
なんか、こういうこと考えてることじたい、最近の空気だと「ださい」という感じだろうか。


どんどん広大になっていくが、希薄になっている、この感じに違和感を感じまくりなのである。


その文章には10割は書かれていないわけよ。
8割書いてあって、2割を読み手で埋めて欲しいというか、そこを感じてレスポンスを
返して欲しいっちゅうか。(まぁ、それで的はずれてるとかいうオレがあかんやん。やっぱ)
全てを書かず、かつ、高確率で相手に読みとらせる、そういう文章が書きたい。